年号 | 長瀬産業株式会社の歩み |
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1968年 |
米国・ゼネラル エレクトリック社と代理店契約締結
昭和40年代前半、今日「エンジニアリングプラスチック(略称・エンプラ)」と呼ばれるプラスチックは、国内の一部化学メーカーが販売を開始していたが、まだ市場は創成期ともいうべき状況だった。一般的なプラスチックとして知られ、当社が中心に扱ってきたのも塩化ビニルやポリエチレン、ポリスチレンなどの汎用樹脂であった。しかし、当社はそのころからエンプラの特性には注目していた。 時代
背景 時代背景
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1969年 |
東京新社屋の竣工
昭和44年(1969)10月、東京支社新社屋が竣工した。東京支社員にとっては待ちに待った竣工であった。 時代
背景 時代背景
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1970年 |
長瀬チバ株式会社の設立
アラルダイトの需要は増加の一途をたどり、昭和40年代初めころには尼崎東工場の生産能力は限界に近づいていった。そのころから当社とチバ社との間で、アラルダイトの生産と販売に専念する新会社を合弁で設立する話が持ち上がり、両社でプロジェクトチームを結成して、新会社の社名に始まり、生産規模、両社の役割など三十数項目にわたる協議を開始した。 東京・大阪両証券取引所市場第一部銘柄に指定
当社の株式は昭和39年(1964)9月21日に大阪証券取引所(市場第2部)へ上場していたが、関東以北の株主数が増加し、関東地方における株式取引の円滑化を図るため、同44年7月1日東京証券取引所に上場申請書を提出した。そして、同取引所ならびに関東財務局の審査に通り、上場の許可を得て、当社の株式は東証2部上場での取引が開始された。 播磨工場の開設
当社は有機化学製品類を製造するため、昭和36年(1961)4月に尼崎東工場を創設し、エポキシ樹脂「アラルダイト」の変性をはじめ、独自に開発した水溶性エポキシ化合物(NER/デナコール)、染色助剤、防黴剤など各種製品を生産してきた。その生産量は著しく増大し、順調に業績を伸ばしてきた。 時代
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1976年 |
福知山工場の開設
当社が酵素製造部門を設置したのは古く昭和14年(1939)に遡る。当時輸入されたばかりの外国製の優秀な糊抜剤に対抗し得る、細菌由来の酵素糊抜剤を国産化する企画を立て、現在の尼崎市尾浜町に工場を建設し酵素製造のスタートを切ったのである。
その後商品化するまでには数多くの苦難があったが、昭和17年に糊抜剤「ビオテックス」の出荷にこぎ着け、以後も製造技術の改善、研究に努め商品の幅を広げ「酵素の長瀬」といわれる評価を得た。尼崎工場では微生物の培養、酵素の生産、応用で培われた技術を活かし、医薬品、診断試薬、食品加工、飼料、工業用などに向けた各種酵素を開発して商品化してきた。また、酵素を応用した商品開発では飼料業界に向けて粉末油脂も供給してきた。 時代
背景 時代背景
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1981年 |
家庭用品部からビューティケア製品部へ
昭和43年(1968)に新設された家庭用品部は、主にNHP(ナガセ・ホーム・プロダクツ)製品と呼ぶ家庭用化学品を全国の直販組織で販売していた。 時代
背景 時代背景
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