年号 | 長瀬産業株式会社の歩み |
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1957年 |
人事部・社長室の新設
事業が発展し従業員が増え、会社の組織・機構が大きくなるにつれ、適切な人事管理の必要が高まってきた。そのため昭和32年(1957)11月、本店に人事部を設け、全社を通じて一貫した人事管理を行うことになった。それまでは大阪と東京で別個に採用を行い、社員の正確なデータも整理されていなかったのである。また、そのころの当社はいまだ定年制が導入されておらず、制度の確立も緊急の課題だった。そこで長瀬誠造専務(当時。のち社長)が担当となり、庶務部が行っていた人事関係業務を人事部に移管し、定年制の実施をはじめ給与・旅費・退職金規程の改定、そして役職制度を整備した。 時代
背景 時代背景
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1960年 |
コダック製品部の新設
イーストマン・コダックは主に映画用生フィルムを通して当社と取引を続ける一方、スチル用を主とした一般感光材料、機器などは特約代理店8社を通じて日本の市場に供給していた。 時代
背景 時代背景
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1961年 |
施設・工場の拡張
不況をはさみながらも、神武景気、岩戸景気を含む昭和30年(1955)から40年までのおおむね10年間、日本の経済は他に例を見ないめざましい発展を遂げた。昭和35年秋には池田内閣のもと「所得倍増計画」が打ち出され、高度経済成長の道をひた走ることになる。この時期、当社では事業の発展にともない建物や設備の拡張を積極的に推進した。本店建物の増築、平野町営業所と塩町営業所の設置、東京支店新館の建設と本町営業所の新設、さらに名古屋支店新館の建設など、本支店の建物や営業所が次々と整備されていった。 合成樹脂部の誕生
当社薬品部で合成樹脂と製品を扱い始めたのは、戦中の昭和17年(1942)ころである。当時は航空機の風防ガラス用メタクリル樹脂を販売する程度だったが、すでに第ニ次大戦の前に、海外ではユリア樹脂、ポリ塩化ビニル、ナイロン66、メラミン樹脂など、優れた性質をもつプラスチックの合成・工業化が盛んになっていた。しかし用途は主に軍需用だった。民生分野に広く普及することになるのは戦後である。 時代
背景 時代背景
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1964年 |
株式を公開(大阪証券取引所第2部に上場)
当社は昭和39年(1964)9月、大阪証券取引所市場第2部に上場を果たした。 時代
背景 時代背景
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