「視野を広げ、深める“多様性”のすすめ パラアスリート×トランスジェンダー活動家」パネルディスカッション

「視野を広げ、深める“多様性”のすすめ
パラアスリート×トランスジェンダー活動家
パネルディスカッション

2023.08.04

Report

スポーツが入口になれば障がいを身近に感じられる

「視野を広げ、深める“多様性”のすすめ パラアスリート×トランスジェンダー活動家」をテーマにしたパネルディスカッションが6月19日、早稲田大学小野記念講堂で開催され、パラ陸上の井谷俊介選手(SMBC日興証券株式会社所属)、フェンシング元女子日本代表でトランスジェンダー活動家の杉山文野さんが、”多様性”をとりまく課題、スポーツの可能性などについてトークを繰り広げた。ファシリテーターは、スポーツに詳しいタレントのこにわさんが務めた。

本イベントは、9月2日、3日に開催される「NAGASEカップ2023大会特別企画」として、大会を特別協賛する長瀬産業株式会社と早稲田大学平山郁夫記念ボランティアセンターが企画した。“多様性”は本来であれば身体的特徴や性別、人種・国籍などあらゆる多様性に関わるキーワードだが、 日本ではどうしても男女格差の是正といったテーマに置き換えられがちでもある。この日はどんなテーマが深掘りされたのだろう。【以下、パネルディスカッションを再構成しました】

パネルディスカッションの様子

障がい者、トランスジェンダー…マイノリティという現実

井谷選手は20歳のとき、大好きなオートバイに乗っていて交通事故に巻き込まれ、右足の膝から下を切断した。「壊死が始まって、もう右足の感覚はないはずなんですけど痛いんです。心も身体も痛かった」と事故当時を振り返る。手術跡、主治医から「義足なら今までと同じように生活できる」と言われたことに光を見出して切断を決意したが、「いざ自分が障がい者になるという感覚がその時はまだ理解できなかった」という。

今でこそ競技用の義足も履きこなし猛スピードで短距離を走り抜ける井谷選手だが、当初、義足を使いこなすことはそう簡単ではなかった。義足のソケット(※)部分に体重を乗せた瞬間の激痛は、「こんなのでは歩けない。もう一生、車いすでもいい」と思うほど。それでも家族や友人の支えもありリハビリを重ね、その後走る楽しさと出会ってパラ陸上選手としての現在がある。
(※)義足と自身の脚をつなぎ、脚の力を義足に伝える部分


一方の杉山さんは幼少期から性同一障害を自覚。女の子として生まれながら「人には言ってはいけないような男の子として自我」があり、スカートを履いている自分を「なんか違う」と思っていたという。スポーツが好きで剣道にも挑戦したが、女の子は白袴に赤胴。男女の違いが鮮明で不満を抱いていたところ、男女のユニフォームに差がないフェンシングと出会い、男女が一緒に練習する環境も心地よくのめり込んで行った。

第二次性徴期が訪れた頃の苦悩は特に大きかった。「心と体が引き裂かれるという言葉では到底表現できない状況だった。当時はまだLGBTQをオープンにしたかっこいい大人はいなかったので、大人になる自分が描けなかったし、早く死にたいとさえ思った」という。その後、出版などの転機を経て26歳で世界放浪の旅に出たが、どこを訪れても“She”か“He”かを問われ、自分自身として生きる場所を得るために28歳で手術、トランスジェンダーとして生きる道を選んだ。現在はゲイである親友から精子提供を受け、パートナーとの間に2児をもうけ子育てにも奮闘している。


「知らない」「分からない」に気づくことが相手の尊重につながる

二人が口をそろえたのは、「けして”多様性”を押し付けたいとは思っていないし、それが良いことだとも思っていない」ということ。「まずは『こういう人もいる』ということを知ってもらえるだけでも嬉しい」と力を込める。

井谷選手は、義足になったばかりの頃、外出したときの視線が痛かったという。子供が義足を指さして「あれ何?」と訊ねる。それを聞いた母親が「見ちゃダメ」と諭す。「障がい者ってそんなにいけない存在なのか」と思ったと話す。

杉山さんは、自身がトランスジェンダーという性的マイノリティであることもあり、障がい者というマイノリティに対しても理解があると自負していたが、ある時ぎっくり腰になり車いすで外出したとき、車いすに乗っていることを恥ずかしく思っている自分にショックを受けたという。「『自分にはアンコンシャス・バイアスなんてない』と思っていたがそうではなかった。まずは自分が『知らない』『わからない』ことに気づくことが大事。それが相手を尊重することにつながる」と自身の経験を踏まえて語る。

パネルディスカッションの様子

ネット上の情報だけでなくリアルの世界でも知識を身につけて

一方で、実際に井谷選手や杉山さんのような存在が身近にいて接する機会がある人はそう多くはないだろう。そうなると、どうしてもインターネット上の情報だけで「知ったつもり」になる人が多いことが課題だと2人は感じている。

LGBTQに関することでも、ネット上では事実ではない情報が溢れている。例えば東京・新宿の公共施設にジェンダーレストイレが敷設された時、男性用トイレも女性用トイレもある上で、ジェンダーレストイレが追加設置されたにも関わらず、「女性用トイレがないのは我慢できない」などの書き込みがあふれた。杉山さんは「こうした誤った情報をもとに進む議論が、多様性の本質を見えにくくしている」と感じている。

杉山さんは、参加者の質問に答える形で「『知る』という行為を、ネットだけではなく、リアルな体験でも積み重ねて欲しい」と提言。「ネットには真実でない事もあり、また自分の見たい情報だけを見ている可能性もある。リアルの世界で当事者を知って、自分の中に自分だけの”多様性”の認識を持って欲しい」とも語った。


大事な「当事者」の声 インクルージョンあっての”多様性”

この日のディスカッションのキーワードの一つとなったのが「当事者の声」だ。井谷さんは、パラアスリートとして自治体のバリアフリー施策を視察する機会も多い。エレベーターやスロープを取り入れ障がい者も生活しやすい街や施設を作ろうとしているものの、当事者から見ると、「それよりも、こっちを直してもらった方が助かるのにな」と感じたことがあったという。「当事者不在のまま議論が進んでしまうことが、ちょっと残念な結果を生み出すんです」と語る。

杉山さんも、「当事者の想いと実態がかけ離れている」と感じることは多い。2021年6月、日本オリンピック委員会(JOC)の理事に選出され「トランスジェンダー理事」として話題を集めた際は、「自分が会議の場にいるだけで、思い込みやバイアスが覆され、いろいろな人がいるという前提がよりはっきりした」と感じたという。「ダイバーシティが重要なのではなく、必ずインクルージョン(当事者も巻き込むこと)がセットであることが”多様性”につながる」と言葉を強めた。

井谷俊介選手発言の様子

スポーツが入口になれば障がいを身近に感じられる

今年9月2日、3日に国立競技場で開催される「NAGASEカップ」は、2022年から始まった世界パラ陸上競技連盟(WPA=World Para Athletics)の公認大会。パラアスリートのみではなく、障がいを持たない健常のアスリートも参加可能という日本ではまだ新しいコンセプトの大会だ。

井谷選手は、2022年の第1回に出場。スタートラインで「今からハンディキャップ関係なしにレースするんだ……とワクワクした」と話す。同じレースで、隣のレーンを走った健常者のランナーから、レース後に「こんなに速いと思わなかった。楽しかったです」と声をかけられたことが印象に残っている。「多様性について主張しすぎると『押し付け』のように思われ歯がゆく感じることも多い」という井谷さん。一緒にスポーツに興じ、楽しかった、悔しかった、勝った、負けたという感覚を共有することで、パラスポーツや障がいを「知ってもらう」ことが大事だと感じている。スポーツを入口にすれば障がいや障がい者を理解してもらいやすい。「NAGASEカップのように健常者も一緒に参加する大会は、その観点からも非常に大事だと思う」と井谷さんは語る。

杉山さんは、NAGASEカップのコンセプトに賛同したうえで、「いろんな選択肢があることが重要」と話す。「インクルージョンの考え方からすると、トランスジェンダーのアスリートをどう扱うのか…という課題が残りますが、まずはインクルージョンした上で公平性をどう保つか、という議論がよいのではないか」と考察を加えた。

「第2回 WPA公認 NAGASEカップパラ陸上競技大会」は2023年9月2日(土)、3日(日)に東京・国立競技場で開催される。新しい挑戦を掲げる大会は、多くの人にとって、“多様性”について考え、新しい価値観と出会うことができる場になるに違いない。

井谷 俊介
生年月日:1995年4月2日
所属:SMBC日興証券株式会社
競技種目:100m・200m
競技クラス:T64 (膝から下の切断)

20歳で交通事故により右脚の膝から下を切断し義足になる。 その後、義足で走る楽しさを知りパラリンピックを目指すように。 レーサーの脇阪寿一氏、仲田健トレーナーに出会い本格的に競技を開始。

2018年には競技は始めわずか10ヶ月でアジア大会を優勝。
2019年 世界パラ陸上では日本人初の100m決勝に進出。 200mでも同じく決勝へ。
2024年のパリパラリンピックを目指している。

ウェブサイト:
https://itani-shunsuke51.com/profile/
Instagram:
https://www.instagram.com/itani.shunsuke/?hl=ja


杉山 文野
1981年、東京都生まれ。
フェンシング元女子日本代表。トランスジェンダー。早稲田大学大学院教育学研究科修士課程終了。2年間のバックパッカー生活で世界約50カ国+南極を巡り、現地でさまざまな社会問題と向き合う。
日本最大のLGBTQプライドパレードを運営するNPO法人東京レインボープライド共同代表理事や、日本初となる渋谷区・同性パートナーシップ制度制定に関わり、2021年6月からは日本オリンピック委員会理事、日本フェンシング協会理事も兼任。ゲイの親友から精子提供を受け、パートナーとの間に2児をもうけ子育てにも奮闘中。

著書に『元女子高生、パパになる』(文藝春秋)など。

ウェブサイト:
https://fuminos.com/
Instagram:
https://www.instagram.com/fuminosugiyama/


こにわ
松岡修造さんのモノマネをし始めた2007年頃からスポーツの知識を深めていく。
2012年、2014年、2016年、2018年と日本テレビの朝の情報番組『PON!』ではオリンピックキャスターとして現地情報を伝える。
『SUPER GT』の公式応援団長、パラ卓球のアンバサダー、パデルのエバンジェリスト、ウォーキングサッカーのエンタメキャプテンに就任している。
2021年には、J3『アスルクラロ沼津』のスタッフとしても働き、スポーツビジネスの面でもサポートをしていた。
様々なアスリートとの交流があり、アスリートとのトークショーでのMCをこなす。今までトークイベントをしたアスリートは、体操・内村航平選手、バスケ・田臥勇太選手、プロゴルファー・中嶋常幸選手、青山学院大学・原晋監督など。
その他、オリパラのメダリスト多数。 現在、社会福祉法人「一燈会」でeスポーツコンサルティングもしている。

Instagram:
https://www.instagram.com/koniwa1982/

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