NAGASEカップで好記録
世界の頂点を目指して
陸上の男子400mハードルでインターハイを目指していた松本武尊の日常は、高校2年生の7月に突如として閉ざされた。小脳出血。しかし作業療法士の助言を励みにリハビリに取り組むと、T36(脳性まひ)クラスのパラ陸上選手として新たなスタートを切った。自身も作業療法士として勤務する傍ら、競技に打ち込む日々。その視界に何を捉えているのか。
松本 武尊(まつもと たける)
2001年、千葉県出身。専大松戸高2年時に小脳出血を発症した。パラ陸上のT36クラス(脳性まひ)に転向し、すぐ100mと200mの日本記録をマーク。2020年には日本代表合宿に招集され、21年には400mでも日本記録を塗り替えた。東京パラリンピックは400mで7位、100mで10位。前回のNAGASEカップでは400mで自身のアジア記録を更新した。
競技の面から見ると、東京パラリンピックは反省が残る大会だったのですね。
学校のことばかりが気になってしまって…反省しています。東京パラリンピックが終わってからも、専門学校の最終学年だった去年は国家試験もあり、勉強の方に比重を置いていました。ものすごくたくさん授業がありましたし…。陸上競技連盟の方々にはすごく迷惑をかけてしまって、理解してもらった形になります。
パラアスリートとして充実はさせたいけれども、今後何十年も続く作業療法士のスタートラインに立つための「ハードル」でもあったわけですよね。今季から千葉県内の病院で作業療法士として勤務していますが、競技に集中できる環境なのでしょうか?
今年は今までとは逆で、陸上をメインに置いて仕事を一緒にやっていくスタンスにしていただきました。これまでは陸上が勉強に行くために大きくモチベーションを上げるための存在でしたが、今は職場の方が「陸上をメインにしながら仕事してほしい」と言ってくれています。少し早く勤務を終わらせてもらって練習に行けています。
あとは運営法人の人事部に、パラバスケットボールのフィジカルコーチを務めている方がいます。その方が「このやり方ではタイムが縮まらないから違うやり方がいい」とか、いろんな経験を踏まえてアドバイスをしてくれるんです。そういう部分も含めて恵まれた環境なので、以前よりやりやすくて打ち込むことができています。
その一方で、自分が周りからどう評価されるのか――。大きな大会に出たり、そこで成績を残したり。今の環境で働きながら競技に打ち込んでいる以上は、そこは結果を出していかなければいけないと思っています。なので今は、大会で残す成績も強く意識しながら取り組んでいます。
成績という意味では、NAGASEカップはうってつけの舞台かもしれませんね。前回は400mで自身が持つT36アジア記録を塗り替えました。この55秒21は現在の自己ベストでもあります。大会についてはどんなイメージを持っていますか?
その前の年、第1回のNAGASEカップの時も、400mで当時のアジア記録(55秒90)を出していました。それもあって、「もう出すしかない」という思いが強かったのが一つ。あとは同組に、鈴木奏選手(T20)というAC KITAのチームメイトがいたのも大きかったと思います。僕はいつもレース後半に疲れてすごく失速してしまうんですけど、そのレースはチームメイトがいたので「頑張ろう」という気になって最後まで粘れました。その結果として記録も出たと思います。NAGASEカップは自分にとって、すごく相性のいい大会だと感じています。
NAGASEカップは障害者も健常者も一緒にレースで走りますし、新たな刺激を得てもらうためにさまざまな工夫をしています。レースに出場した中で、何か感じたことはありますか?
僕がアジア記録を出せたのは、健常の選手と走ったからだと思います。パラ陸上では後ろの選手をかなり離した状態でゴールすることもありますが、NAGASEカップではタイムが同じくらいの健常の選手と走れるので、ありがたかったです。前を走られていると負けず嫌いが発動するし、そういう意味でも好記録が出やすい大会なのかなと感じました。
また、第2回大会で大会PRサポーターとして来場していた(女子100mハードル元日本記録保持者の)寺田明日香さんに称賛してもらったのがすごくうれしかったです。自分の中ではものすごい有名人だったので(笑)。アジア記録を出して賞金をいただいて、そのプラカードと一緒に写真を撮ってもらいました。
大会のコンセプトについて、ご自身の立場から感じることはありますか?
健常者と障害者は、多分あまり交わる機会がない。そういった意味ではNAGASEカップを通じて交流を深め、互いを知るという部分でもすごく意義のある大会の一つではないかと思います。
一般的な大会で走る場合、障害を持って走ることに対してすごく「特別感」があります。でもNAGASEカップの場合は、最初から「健常者でも障害者でもどちらでもいいよ」という入口で、一緒に交ざってレースをするじゃないですか。それはすごくコンセプトに合っていると感じました。
そういう大会の会場が国立競技場であるということについてはいかがでしょうか?東京パラリンピックを思い出したりもするのかなと推測しますが。
国立競技場は見る人にとってもめったにない機会だと思います。NAGASEカップに参加したことによって学校の先生が来てくれたり、いろんな方が応援に来てくれました。そういう意味でも、たくさんの出会いがある場所だと思います。
こうして振り返ってみると、もともと陸上選手だった要素はありますが、勉強との両立も含めて非常に濃密な体験をして現在に至ると思います。さまざまな出来事が今の松本選手に影響していると思いますけど、これまでの歩みを振り返ってみての実感はいかがですか?
陸上競技を通じて経験した出来事も、それ以外の出来事も含め、本当にたくさんの失敗やつらい思いをしてきました。失敗するたびに恥ずかしさを感じた部分もありますが、今から振り返って考えるとすごくいい経験だったんだと思います。その経験があったからこそ、仕事の面では患者さんに対して優しく接することができますし、仕事を離れても他人に対して優しくできています。
つらい思いも失敗も全て糧にして、仕事との両輪で競技に打ち込んでいるのが成長の原動力になっているように感じました。こうして次々と記録を更新していった先に、パラアスリートとしてどんな将来像を描いていますか?
陸上競技を通して、これまで経験してきたこととこれから経験することを仕事に生かしたいと思っています。今後もすごく多くのことを経験できると思うので、それも含めて作業療法士としての仕事に生かしていきたいです。
競技の面では、2028年のロサンゼルス・パラリンピックで金メダルを取るのが一番の目標です。今年のパリパラリンピックも目標ではあるんですが、51秒71の世界記録を持っているジェームズ・ターナー(オーストラリア)という選手がずば抜けて速いので、現段階では少し難しいかもしれません。とはいえ金メダルは厳しくても、銀メダルは狙っていきたいと思っています。
→【前編】頭角を現した若きホープ 国家資格と「二足のわらじ」