「『ありのままの自分』を解放し
未到の領域へジャンプ」

2024.10.10

Column

湯口 英理菜選手インタビュー(前編)

世界的にも数少ないT61(両足大腿義足)クラスの湯口英理菜。幼少期から義足で生活しており、最初は見られるのが嫌だったという。しかし、陸上を通じて「ありのままの自分」を見せることへの抵抗が消えた。主戦場は女子走り幅跳び。同じ障害を持つ世界記録保持者の背中を追いながら、ジャンパーとしての未来を切り開いていく。

湯口 英理菜(ゆぐち えりな)
2000年、埼玉県出身。両脚に先天的な障害があり、3歳の時に大腿骨から下を切断。中学校の時に陸上と出会い、高校でスタートラインTokyoに所属。日本体育大学に進学してから世界を目指すため走り幅跳び(T61)にも挑戦。前回のNAGASEカップでは、200mで36秒10の世界記録をマークした。

障害を持つことになった経緯などを教えてください。

生まれつき先天的な障害があり、3歳のときに大腿骨から下を切断しました。その後、5歳から義足で生活するようになりました。

物心がついたときからそのような状況であったかと思うのですが、ご自身ではどんな感覚で過ごされていたのでしょうか?

やっぱりネガティブな感情が大きかったですね。私自身が車いすで生活していく姿を受け入れられていなかったです。長い期間リハビリに取り組んで、やっと歩けるようになって、幼稚園には歩いて通っていました。身体を動かすのは好きだったので、幼稚園のときにはプール、小学生のときにもできる範囲で体育の授業に参加してバドミントンやバスケットボールをしていました。同学年の友だちと一緒に運動をするのは気持ち的にも楽だったんですが、やはり身近な人以外には「義足を脱いだ姿を見られたくない、隠したい」という気持ちが強かったです。学校の先生や友だちが配慮してくれたおかげで楽しく参加できたのは良かったです。

「見られたくない」という気持ちが切り替わるきっかけが何かあったのでしょうか?

高校生のときにテレビ番組に出演する企画がありました。自分が陸上競技をやっていることを友だちに伝えて、実際に走っている姿を見てもらうという――という内容です。そこで友だちにありのままの自分の姿を見せることができて、それをきっかけに陸上競技をしている自分が周りから認められたという気持ちになりました。それからは本当に隠したいという気持ちがなくなって、逆に自分が頑張っている姿を見てもらって、少しでも応援していただきたいと思うようになりました。

周囲に認めてもらうことで自己承認につながった部分が大きかったんですね。前後しますが、まず陸上競技と出会ったきっかけはどんな経緯だったのでしょうか?

小児用の義足から成人用の義足に作り替えるタイミングで義肢装具士の臼井さんに出会い、臼井さんと関わっていく中で「陸上競技をやってみないか」とお声掛けいただいたのがきっかけです。参加した陸上教室で初めて板バネをつけましたが、当時は右足に傷ができてしまっていて、手術や入退院の繰り返し。陸上競技に本格的に触れることはできませんでした。高校生になって足の傷も落ち着いてから、臼井さんが開催している「スタートラインTokyo」という陸上競技部で月に1回のペースで練習をするようになりました。

車いすではなく、やはり「走る」ことに対するこだわりが強かったのでしょうか?

車いす競技を勧められていたんですけど、膝上まででも自分の足が残っているのに他の道具に頼りたくないという気持ちが当時はどうしても強かったです。自分の残っている身体を最大限に使えるのが陸上競技じゃないのかなと思って、そこからは本格的に陸上競技をやりたいと思いました。

自分の足で走ることに強い思いがあってのことだと推測しますが、初めて走ったときの感動や喜びなどは振り返ってみていかがですか?

はじめはまだ走れなくて。手を繋いでもらって板バネで歩く練習からスタートして、初めて走ったのは高校生ぐらいのときだったんです。走れた時は、「走る」という感覚が自分で感じられたことに対する驚きと、普通の人が走っている感覚を自分自身で実感できたうれしさがありました。ただそれと同時に、普段感じない感触や不安定さに対する恐怖心も湧いてきました。さらに自分が今この走っている感覚が、本当に健常者の方が走っている感覚なのかがわからなくて。純粋に「うれしい」だけではなくて、まだ自分の中で感情が追い付かなかった記憶があります。

未体験の感覚でしょうから、驚きと半信半疑のような状態になったのですね。そこから、「これが走ることなんだ」と納得できた瞬間があるのでしょうか?

はじめは50mしか走れなかったんですが、その後どんどん距離を伸ばしていって、自分の中でもやっと「走れた気がする」という感覚に変わっていきました。高校2年生のときに大会ではじめて100mを走り切って、ゴールを通り過ぎた瞬間に「できた」という感覚になりました。

そこからさまざまな大会に出るようになって、パラ陸上を本格的にやろうというスタンスになったのでしょうか。

最初はやっぱり自分の中で趣味を見つけたいというか、何かひとつ打ち込みたいという気持ちでパラ陸上をやっていました。ただ、大会に出場することが増えていくたびにうれしさやおもしろさを感じていたので、進路を考えている時期に臼井さんに相談しました。話していくうちに本格的にパラ陸上をやりたい気持ちに変わってきたのと、やっぱり自分自身に自信をつけたい気持ちが大きかったです。

パラ陸上を始めてから、周りの方々に「ちょっと明るくなったね」とか「変わったね」と言われる機会がすごく多かったんです。この先、陸上競技を通してもっともっと自分に自信を持てて、ありのままの自分をさらけ出していけるようになりたい――という考えから、日本体育大学への進学を決めました。そこからは本格的に世界を目指したいと思うようになりました。

両足義足で走り幅跳びの試技をする中で、どのような部分を重視しているのでしょうか?

パラリンピックに出場するのであれば、両足大腿切断の選手と片足大腿切断の選手が一緒になって競うことになります。初めは何も知識がなかったので両足大腿切断の選手がすごく不利になってしまうのではないか…?という考えだったんです。

でもヴァネッサ・ロー選手(オーストラリア)は私と同じ障害なのですが、パラリンピックで金メダルを取ったり世界ランキングで1位を取ったりと、ものすごく活躍されているんです。「なぜその記録を残せるのか」と考えたときに、やはり板バネを使いこなす技術が上手だと感じました。体重をかけることによってより強い反発を地面からもらえるので、それを利用してリズム良く跳躍しているんです。ヴァネッサ・ロー選手が前例になってくれているので、私も自分の動画を見て比較しながら記録を伸ばせるように練習に取り組んでいます。

パイオニアがいて励みになったし、競技面でも参考になった部分が大きいのですね。同じ舞台で競う機会もあると思いますが、ご自身の中では「憧れ」のような存在になるのでしょうか。

憧れの存在でもあり、ヴァネッサ・ロー選手のようにダイナミックで力強いパフォーマンスができる選手になりたいです。そのためにも今より体幹や全体の筋力を強くし、技術を高めるためにトレーニングに励んでいきます。

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