年号 長瀬産業株式会社の歩み
1832年

長瀬伝兵衛が「鱗形屋」を創業

江戸時代末期の天保3年(1832)6月18日、27歳の初代長瀬伝兵衛は、京都・西陣で紅花や布海苔、澱粉を扱う「鱗形屋」を創業した。このころは飢饉だけでなく悪疫の流行や百姓一揆の頻発、都会での打ちこわしなど、世情は騒然として全国的に景気はどん底の状態だった。鱗形屋を興した初代伝兵衛も、商売の維持には並々ならぬ苦労を重ねたものと思われる。

初代 長瀬伝兵衛

初代 長瀬伝兵衛

時代
背景

時代背景

1841年
天保の改革
1853年
米使節ペリー艦隊、浦賀に来航
1860年
エイブラハム・リンカーンが第16代アメリカ合衆国大統領に就任
1893年

大阪支店の設定と本店移転

明治26年(1893)3月、伝三郎は同業者の稲畑勝太郎とともに、京都・西陣で京都染織工業雑誌社を設立し、月刊の『染織工業雑誌』を創刊した。そのころ染料に関する定期刊行物の数は少なかったため、業界関係者から大きな期待を寄せられた。第1号に掲載された長瀬商店の広告から、当時の取扱商品を知ることができる(表参照)。
伝三郎は輸入の人造染料を取り扱い始めてから、将来にわたって事業の発展を図るためには、大商都である大阪に進出する必要があることを痛感し、長瀬商店は、明治26年8月17日に大阪市西区立売堀に初の支店を設置した。
当社が大阪に進出した翌明治27年8月、日清戦争が勃発。この戦争はおよそ8ヵ月という短期間で日本の勝利のうちに終結した。その結果、巨額の賠償金を獲得して金融は緩和され、好景気がもたらされた。大阪支店の業績も飛躍的に伸びたため、同31年11月、本店を大阪に移すとともに、発祥の地・京都には出張店を設けている。


明治26年ころの取扱商品(『染織工業雑誌』第1号の広告より)
人造染料 ドイツ製、フランス製、スイス製のアニリンおよびアリザリン染料
天然染料 五倍子、楊梅皮、柘榴皮、鬱金、蘇木、丹柄、エキスホルツ類
澱粉海苔 蕨粉、芋粉、馬鈴薯、沈葛、浮粉、布海苔、真草、吟南草
職工用品 酸類、塩類、鉱物、樹脂、脂油、護謨類、膠質植物、諸薬品
ガンビエ インド産染物用純良品
ブロンズ 塊状および泥状ドイツおよびフランス製
染用石鹸 真正オリーブ油製造品
目硝子類 フランス・リヨン製メカニク用
時代
背景

時代背景

1894年
日清戦争が勃発
1896年
第一回夏季オリンピックがアテネで開催される
1901年

リヨン出張所開設、チバ社との直接取引

当時の大阪における貿易は、神戸の外国商館がほぼ一手に握っている状況だった。長瀬商店の将来の発展を考え、かねて直接貿易を熱望していた伝三郎は、明治33年2月5日、実弟の長瀬伝次郎をフランス・リヨンに送り出し、高等商業学校では絹織物業の研究に従事させた。その後、スイスのバーゼル化学工業社()で実地研究を重ね、明治34年9月にはリヨンに出張所を設け所長となった。日本の企業としてはきわめて早い時期に海外に目を向け、駐在員を配置したのである。

バーゼル化学工業社(Society of Chemical Industry in Basle : 略称チバ社またはシバ社(Ciba)。昭和20年〈1945〉にこれが正式な社名となった。)

当社はシーベル・ヘグナー社(Siber Hegner & Co.,Ltd.)を通じてチバ社の染料を輸入していたが、リヨン出張所を開設してから取引は大きく進展することになった。化学品を主体にした専門商社への道は、実にこのとき開けたといえよう。明治期に当社が大きく発展したのは、チバ社の硫化染料「ピロジン」の取り扱いを始めたのが契機になっている。

リヨン出張所には明治43年(1910)11月に長瀬徳太郎(明治37年に入店した当時は芝本姓。のち社長)が赴任して所長となった。チバ社との直接取引に変更するための折衝を行い、ついに長瀬商店は同社の日本における代理店となることに成功した。以後、当社にとってリヨン出張所は、まさにヨーロッパとの直接貿易の中心的役割を果たし、大正2年(1913)4月に対欧貿易拡大のためロンドン出張所を開設するまで変わることがなかった。

明治26年当時のチバ社全景

明治26年当時のチバ社全景

時代
背景

時代背景

1903年
ライト兄弟が人類初の動力飛行に成功
1904年
日露戦争
1905年
特殊相対性理論がアルベルト・アインシュタインによって発表される
1911年

東京支店の開設

明治41年(1908)4月、当社は国内販路の拡張を図るため、東京市日本橋区小網町(現・中央区日本橋小網町)に東京出張店を開設した。東京出張店は明治44年7月に同区小舟町に移り東京支店と改称し、同時に京都出張所も京都支店へと改称した。当時、東京支店で取り扱っていた商品は、硫化染料を主体にログウッドエキス、マルセル石鹸、過酸化ソーダ、硫化ソーダ、亜鉛末などである。

大正2年当時の東京支店

大正2年当時の東京支店

時代
背景

時代背景

1912年
豪華客船タイタニック号がニューファンドランド沖で沈没
1913年

ロンドン、ニューヨークに出張所開設

海外ではリヨン出張所がヨーロッパでの取引窓口として活動していたが、いよいよ取引が拡大してきたことから、大正2年(1913)4月にリヨンよりも地理的に便利なロンドンに出張所を開設し、同年9月にリヨン出張所を合併、大正4年11月にはニューヨーク出張所を開設した。さらに当社は中国をはじめアジア各地へも盛んに進出を図った。

大正8年頃のロンドン支店在勤者(前列左から二人目は長瀬徳太郎)

大正8年頃のロンドン支店在勤者(前列左から二人目は長瀬徳太郎)

時代
背景

時代背景

1914年
第一次世界大戦が勃発
桜島大正大噴火